万葉集の最高傑作、柿本人麻呂の相聞歌が詠まれた万葉の地、石見を探訪する
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万葉集と記紀
 
一般に『万葉集』と言えば、日本固有の文化財産と考えられてきた。

しかし、万葉集は、日本と韓国の両国にとっても貴重な文化財産である。

もちろん日本には、ほかにも『万葉集』と同時代に完成された『古事記』や『日本書紀』もある。

ところが、それらは、朝廷の権力の基礎を固めることを狙いとして編纂されている。

したがって、記紀は『皇家の私文書』にすぎない。

 
『万葉集』は、古くから日本列島に移住して、古代ヤマト国家を築き上げた、伽耶族の後裔であり、 

ヤマト言葉(慶尚道方言)の使い手である、大伴家持を中心とした人々によって編纂された。

 
伽耶族の影
 

したがって、『万葉集』に収録された歌は、ところどころに挿入されている漢詩を除けば、

すべてが、漢字の音と訓を借りて表記された古代日本語で書かれている。

 
古代日本語
 
これに対する、古事記や日本書紀の編纂は、百済から渡来した学者らの手によるものであることは、今更言うまでもない。
 

彼らが、本国で身につけてきた高い漢文素養を駆使して、記紀を編纂した事実は、

多くの学者の口を揃えて認めるところである。

 
したがって、記紀に散見される歌や訓注を除けば、

記紀の主文は漢文で成立している、と云う点で、

万葉集とは、根本的な相違があると云える。

 

また、万葉集は、天皇から、遊女や乞食にいたるまで、あらゆる層の人々の歌を集めたものである。

そこには、当時の人々の風俗・慣習を含める全体の社会相が、赤裸々に書き残されている。

それに対する記紀は、朝廷の権力を強化するために政治的側面に重点をおいた、

造作された史書であることは、論を待たない。

新参者である百済からの遺民たちが、新しい史書の編纂に関与しながら、朝廷に重用されることに、

反発するヤマト族が、記紀の編纂に対抗する意識をもって編纂したのが、『万葉集』であるような気がしてならない。

それはともかく、万葉の時代である7世紀の半ば頃から8世紀の半ばまでの百年間は、

当時の日本と韓国において、それまでにはないすさまじい政治的変化が起きた時代である。

まず、韓半島においては、新羅が宿敵であった百済と高句麗を滅し、三国統一の「偉業」を果している。

しかしこの「偉業」は、今日の立場で冷静かつ公正に考えてみると、韓国歴史上の一大「悲劇」であったと言わざるを得ない。

というのは、三国統一の過程で三国のひとつであった高句麗の広大な旧領と住民を、中国に切り与えてしまったからである。

この高句麗は、興隆時には、旧満州からソ連の沿海州あたりまで広がる、広大な地域を領有していたと思われる。

しかも、「偉業」がもたらした「悲劇」はそれだけにとどまらない。

 

すなわち、それまでは同じ民族であると認識されていた日本列島の住民をも、

あかの他人にさせてしまうという「民族分裂」まで引き起こしたからである。

 
ここで私は、「それ以前までは同じ民族であると認識されていた日本列島の住民」という表現をあえて使った。

読者の中には、「何を根拠にそんなことを言うのか」と驚かれる方がいるだろう。

では、次のような事実は、一体何を物語っているのだろうか。

たとえば、桓武天皇は、「百済は私の外戚である」と宣言している。

 
(註‥『三代実録(さんだいじつろく)』よれば、天皇の母の中宮高野新笠は、百済の武寧王(むりょんぐわん)の子である純陀(すんた)太子の子で、光仁天皇との間にのちの桓武天皇と早良(さら)、能登内親王を生んでいる)
 
また桓武天皇の後宮には、少なくとも五人の百済女性(百済教仁、百済貞香、百済明信、百済教法、百済永継)が入っている。
 
また、日本の正史である記紀の内容の大部分は、韓半島との交渉の記事で埋められているのである。
 

それだけではない。

西暦815年に完成した『新撰姓氏録(しんせんしょうじろく)』に掲載されている日本全国の姓氏、総1182氏のうち、

始祖が高句麗・百済人であると明記されているものがきわめて多い。

さらに、よくよく調べてみると、古代日本姓氏のほとんどが韓半島系なのである。

さて、韓半島で新羅による三国統一が実現したこの時期、日本においても、未曾有の政権交代劇が起きている。

そのひとつは、三百数十年にわたって皇室の外戚として、

皇室以上の権力をほしいままにしていた蘇我一族が滅んだことである。

もうひとつは、大海人皇子による近江朝廷の打倒、

すなわち壬申の乱が起こっていることである。

そのような激動の時期には、かならずといっていいほど、歴史に名を残すような偉人が生まれている。

私は、万葉の時代という激動の時代が生んだ偉人のひとりが、柿本人麻呂であると考えている。

人麻呂は、『万葉集』が編纂されてから1300年になろうとしている今日もなお、歌聖として崇められている。

 
それは、彼が305首あまりにも及ぶ多くの、珠玉のような歌を詠み残し、

今日の『和歌の基礎』をつくったからである。

 
…朴 炳植著「柿本人麻呂と壬申の乱の影」より
 
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