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また、万葉集は、天皇から、遊女や乞食にいたるまで、あらゆる層の人々の歌を集めたものである。
そこには、当時の人々の風俗・慣習を含める全体の社会相が、赤裸々に書き残されている。
それに対する記紀は、朝廷の権力を強化するために政治的側面に重点をおいた、
造作された史書であることは、論を待たない。
新参者である百済からの遺民たちが、新しい史書の編纂に関与しながら、朝廷に重用されることに、
反発するヤマト族が、記紀の編纂に対抗する意識をもって編纂したのが、『万葉集』であるような気がしてならない。
それはともかく、万葉の時代である7世紀の半ば頃から8世紀の半ばまでの百年間は、
当時の日本と韓国において、それまでにはないすさまじい政治的変化が起きた時代である。
まず、韓半島においては、新羅が宿敵であった百済と高句麗を滅し、三国統一の「偉業」を果している。
しかしこの「偉業」は、今日の立場で冷静かつ公正に考えてみると、韓国歴史上の一大「悲劇」であったと言わざるを得ない。
というのは、三国統一の過程で三国のひとつであった高句麗の広大な旧領と住民を、中国に切り与えてしまったからである。
この高句麗は、興隆時には、旧満州からソ連の沿海州あたりまで広がる、広大な地域を領有していたと思われる。
しかも、「偉業」がもたらした「悲劇」はそれだけにとどまらない。
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